ミシガンフライトミュージアム

アメリカ生活

今回は、ミシガン州イプシリアンティにあるミシガンフライトミュージアムという航空博物館に行って参りましたので、その紹介をさせていただきます!

ミシガンフライトミュージアムについて

ミシガンフライトミュージアム(旧称:ヤンキー・エア・ミュージアム)は、ミシガン州のアナーバーの東隣にあるイプシランティのウィロー・ラン空港の敷地内にあります。この博物館は、ミシガン州の航空史の保存と展示に力を入れており、特に第二次世界大戦中のウィローランの役割に焦点を当てています。

この博物館は1981年にヤンキー・エア・ミュージアムとして設立されましたが、不幸なことに2004年の大火災で元の格納庫と展示品の多くが焼失してしまいました。しかし、地域社会の強力な支援によって博物館は再建され、それ以来、展示品と航空機のコレクションを拡大してきました。

入場料は事前にオンラインで購入すれば大人が$13、3歳~17歳及び学生は$10、2歳以下は無料です。現地でチケットを購入する場合は$2が加算されます。月曜日が定休日となっています。

ウィロー・ラン空港(YIP)の歴史

前述のとおり、ミシガンフライトミュージアムはウィロー・ラン空港(YIP)の敷地内にありますが、この空港は、第二次世界大戦に深く関連するという歴史をもっています。

もともとウィロー・ラン空港は、B-24爆撃機を大量生産する場所として、フォード・モーター社によって1941年に建設されました。この空港は、戦時中の生産活動において重要な役割を果たした大規模なウィロー・ラン製造複合施設の一部であり、フォードは自動車組立ラインの技術を応用して航空機製造に革命をもたらし、高い効率性を実現しました。

戦後、爆撃機の生産は終了し、工場は他の産業用途に転用されました。他方で、空港自体は民間利用へと移行して操業を続けました。1950年代には民間航空の拠点となり、現在デトロイト界隈の中心的空港として活躍するデトロイト・メトロポリタン空港(DTW)が旅客便の大半を引き継ぐまで、同地域の主要空港として機能していました。今日では、ウィロー・ラン空港は、貨物輸送機や自家用機を受け入れる空港として機能しています。

1942年9月10日に、B-24の一号機がウィロー・ラン爆撃機工場で完成しました。ちなみに、日本軍による真珠湾攻撃が行われたのは1941年12月7日です。

館内の展示について

こうした歴史に基づき、ミシガンフライトミュージアムの館内には、第二次世界大戦下での航空機製造に関する展示や、アメリカ空軍関連の展示が多く存在します。

こちらは第二次世界大戦中にミシガン湖で空母への着陸練習を行っていたところ(ミシガン湖を太平洋に見立てて練習場所にしていたようです)、着陸に失敗してミシガン湖に落ち海底に沈んでしまった機体の実物です。1990年代に50年の時を経て海底から吊り上げられました。

この絵は”Midway – The Turning of the Tide”という題名で、太平洋戦争の潮目がひっくり返ったミッドウェーの戦いが描かれています。アメリカ空軍からすれば会心の戦いだったのかもしれません。

ニューオーリンズの第二次世界大戦博物館にもありましたが(詳細はこちらの記事をご覧ください)、第二次世界大戦中のLend-Lease Actに関する説明です。アメリカがソ連や中華民国が同盟国として認識した上で、武器等の供与を行っていたという事実があり、国際関係が不変のものではなく、情勢によって想像していないことが起きる可能性があるということを改めて提示されたような気がします。

↑の紙は何だかわかりますか?「優待」とあるので、割引券か何かでしょうか…?でも「安全」って?

先ほどの紙は、7の”Safe Conduct Pass”というもので、朝鮮戦争において国連軍が北朝鮮の兵士に対して空中からばら撒いて「good treatmentを保証するから戦闘を止めろ」と求めました。戦時中に空から降ってきた紙を見て、「戦うのを止めよう」とはなかなか思えないですよね…。

ほかにも実物の機体や空母への着陸シミュレーションソフトなど、いろいろな展示があるので興味があれば是非行ってみてください!2時間もあればすべて楽しめると思います。

ミシガンフライトミュージアムの紹介は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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